稲刈り、終了!

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空高く透き通った空気、深緑の山に映えて、きらきら黄金色に光る稲穂。

小さくて頼りなさげな早苗を手に土と触れあう田植えも好きですが、きらきら光る稲穂に包まれる稲刈りは、まさしく稲作のハイライト。

田んぼ一枚一枚、植えた時期が異なるので、収穫時期も異なります。
稲穂の熟し具合を見ながら、お天道様と相談しながら、収穫の日を決めます。

最後の田んぼは先日、台風と台風の合間に終わらせることができました。(間一髪・・・!)

ずっしりと詰まった米袋、えいやっと抱え上げる。
ずしりと重い。
約30kgのお米だものね。
わたしたち4人の1.5ヶ月の安心。
この重みこそが、「食いっぱぐれない」という安心の重量。

それにしても昔の単位は60kg(1俵(ぴょう))。
これを軽々と持ち上げていたなんて、昔の人のカラダは今のわたしたちのそれと比べて、ケタ違い。
米袋を抱えるこの時期、毎回毎回、新鮮な気持ちで驚くのです。

それにしても今年は、米袋を運ぶ腕に加えて心がさらに重い。
そう、米価暴落が心にのしかかっているのです。

お米の値段は、昔のお米の単位、1俵で計算されます。

今年の米価の概算金は60キロで10,000円以下(166円/kg)。
前年よりも3,000円前後下回っています。

そして生産費用は16,000円。

そうです、お米づくりは赤字のしごと。
みな私財をつぎ込んで、田んぼを必死に守っているという現実。
収入(というか赤字)のあるなしは関係なく、ご先祖さまから受け継いだ田んぼを守るため。

でもそれって、いつまで続くんだろう。

次世代が誇りを持って、やる気を持って、継ぐことのできる生業であるはずの農業なのに、若い世代はあきらめざるを得ない現実。

米は、4年後に減反廃止も予定されています。
「コメあまり」と言われる今の世。
流通量が多くなって在庫があまり、ますます価格は下落する可能性が高いです。

さらに、安倍政権は農地の企業参入の緩和を強引に進めています。
この後押しを受け、早速イオンが米の大規模生産を始めるといいます。
もちろん企業は利潤を求めます。
この価格で、どこを「切り詰めたら」利潤が得られるのだろう。

何十年も、毎年毎年、米を植え、米の一生と付き合ってきたプロの米農家でもってしても採算が合うどころか、大赤字になる米価格だというのに。

富裕層向けのブランド米(無農薬米?「なんとかという栄養素が取られる」ブランド米とか?)を、外国人労働者を低賃金で雇って生産する?

「ブランド米 made in Japan」を輸出、ブランド力を駆使して高単価で外国の富裕層に売るとか?

お米は、この国に暮らす大多数のわたしたちにとって主食です。
安定的に栽培し、供給することは、住民の安定的な暮らしを守るべき政府にとって、優先順位の高い仕事だと思うのですが、守るどころか反対方向に行ってますね。

また田んぼは、お米という「めぐみ」をもたらしてくれるだけではありません。

「水の調節機能」「河の流れを安定させる機能」:春の雪解け水、雨が多い時期に水を貯めて、渇水の時期に放出します。

「水の涵養(かんよう)機能」:貯めた水は地下水にもなります。良質な水をつくってくれるのです。田んぼの減少で、地下水量も減少することが明らかになっています。

他にも、
「生物の多様性保持」、
「土砂崩れを防ぐ機能」、
「農村の景観を守る」
「伝統文化を守る」
「癒やしや安らぎを与える」
「体験学習や教育の機能」
などがあげられます。

この貴重な財産をわたしたち今の世代が享受し、次世代に渡すこと。
ここに主眼を置いていたら、市場原理にまかせるという政策決定ができるとは思えません。

ずっしりと重たち30kgの米袋が積み上がった、保管庫。
安心の重みが、たくさん積み上がってこれ以上ない安心感。

わたし:「泥棒さんが来たとしても、これだけ重いとよう持っていかんよなぁ。」
連れ合い:「こんな米価安いのに、どこの泥棒が持っていきたいねん。ガソリン代や運び賃の方が高くつくわ」

ため息がでるブラックジョーク。

「お米の値段が安い」から、農を営む私たちの「収入」を憂いてため息がでるのではありません。

米価の安さが、いのちより、利潤が優先されている社会を顕著に表しているようで、ため息がでるのです。

無数の赤トンボが行き交う田んぼ。

田んぼに産み落とされ(卵)、
田植えの時期、水が張られるまでじっと待ち、
代掻きがなされ、水が張られると、待ってましたとヤゴへと孵化。
田んぼの生き物をえさに大きくなり、稲をのぼってトンボに羽化。
そして山へ登り、暑い時期を過ごす。
秋になるとまた田んぼに戻り、卵を産み落とす。

たくさんの赤とんぼが田んぼで産まれ、田んぼでいのちをつなぎます。
わたしたち、瑞穂の国に暮らす人間も一緒です。

市場価値は一見ないけれど、いのちの循環と深く関わっていて、お金でははかり知れない価値があるモノ・・・田んぼにはたくさんありますが、「赤とんぼ」はその象徴的な生き物に思えます。そんな生き物を愛おしく思い、大事にする社会でありたいー
無数の赤トンボを追う子たちの姿を見ると、なおさらそう思うのです。

一度は田んぼを離れ、居心地のよい(涼しい山)で青年期を過ごす赤とんぼ。でもいづれは田んぼに帰り、次世代を産み落とすのです。

わたしたちも今は田んぼから離れて居心地のよいところにいるけれど、いつかは田んぼに帰るんじゃないかーせわしない赤とんぼを見ていると、そんな期待も持ち上がります。

赤とんぼを大事にする世の中にしてから次世代に渡すことーこれが赤とんぼのように、わたしたちも「いつかは田んぼに帰ること」なのかもなー
・・・ゆさゆさと風に揺れる金色の稲穂を見て、毎年想い深まるのでした。

リフレッシュにも、この社会の今や未来のありかた、について考える機会にもなる稲刈り。たくさんの人が金色のじゅうたんに身を包みつつ、思いにふける瞬間を持つ機会があると、社会がかわるのではー、そんな風に思える秋晴れの一日です。

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