Seedsaving
タネについて

耕し歌ふぁーむでは、京野菜をはじめとした各地の伝統野菜の固定種のタネを使って栽培しています。また、可能なものはタネとりも行い、ゆくゆくは自家採取のお野菜も増やしていきたいと考えています。

伝統野菜を大事にしたいのは、悠久の時間の流れの中、人々が培ってきた知恵と経験、だいじに育ててきた食にまつわる文化を、次世代にも渡したいと思うからです。

しかし、固定種のタネでは「無理がある」場合は、F1(一代雑種・一代交配種)のタネを使用することもあります。

そんな私たちの「タネ」についての想いをここに記しています。長いですがおつきあいいただければうれしいです。

効率的なF1、個性的な固定種。違いとメリットデメリット。

お野菜のタネには、育成方法でわけると「固定種」と「F1」があります。

よりすぐれた固体のタネを継いで味や形が「固定」されたタネを固定種、異なる親を交配させて、その子ども(1世代)のみ親の特徴的な遺伝子を受けついだタネが、一代雑種、一代交配種とも呼ばれるF1です。

現在は、食卓に上る野菜のほとんどがF1呼ばれるタネで栽培されています。
F1のタネは病害虫に強く、画一性ある野菜が育つため、「効率よく生産できる」ことが理由です。

誰にとっての「効率」かと言いますと、まずは、育てる側の農家さん。そして、流通に乗せる上での「効率」です。理由を考えてみます。

F1のタネの野菜は、画一的に成長します。また、病害虫への抵抗性が高い、とう立ちが遅い、成長が早い等の大規模流通に適した特徴を持っていて、年中同じ野菜が供給できるようになりました。ただ、畑一面同じ作物を植えるので虫がつきだすとすぐに広がり、農薬が欠かせないタネでもあります。

対して、固定種のタネは畑全体で平均が取れるというぐらい少しまばらに成長します。またタネを蒔き収穫する時期も限られており、高い技術や知識が求められるタネです。固定種のタネは、よりよいタネを継いできただけあって、野菜の味が濃厚と言われます。

しかし、まばらに成長ということは、本当に非効率です。
毎日、熟練の百姓が、成熟具合をチェックしなければなりません。
何か問題があったら、それに対処できるだけのノウハウも身につけた百姓でないとつとまりません(でないと全滅・・・ということになりかねないのです)。

農家は、お野菜売ってやっと収入になります。
「一生懸命育ててたけど全滅した」では、「一生懸命育てた」は無報酬なのです。。。

「農業」を生業とするのなら、タネを蒔いた野菜が一斉に同じ形で育ち、一度に出荷できることはメリットです。また、せっせとお世話したのに病気になってしまうのは避けたい。画一的に育ち病気になりにくい要素を備えたF1のタネは大きなメリットがあるのです。

多様な大根を取り戻そう

例えば大根。

日本では各地の気候風土に合った伝統的な大根が栽培されてきました。それぞれの大根が持つ特徴によって「漬物用」「煮炊き用」「サラダ用」「切り干し大根用」と位置づけられた、多種多様の品種が存在していました。その数、100種類以上。

しかし1970年代以降は、「青首大根」ばかりになってしまいます。
抜き易く、病気にも強く、形も均一に育つから言うことなし、という理由からです。

農家の高齢化も深刻で、大根が「簡単に抜ける」ことは大きなメリットです。
腰をかがめて抜けにくい大根を引っこ抜くのは重労働なんです。
しかもうまく抜けなくって、ポキンと折れてしまった大根、流通に乗りません。

せっかく育てたのに、病気になってしまっては、労働は無報酬になります。

形が均一に育つことも重要です。箱の大きさは決まっているのです。きっちりと無駄なスペースなく、より多くの本数が箱に収まると、一本あたりの流通のコストを下げられます。

一斉に育つことも大切です。こっちの大根は今収穫、隣の大根はあと1週間後・・・ではヤヤコシイ。

個性的な形の大根は、「非効率」なのです。

高度成長期を経て、「早く」「大量に」を求める社会風潮の中で求められたのが、F1とも言えます。

また、農家さんと消費者が遠くなってしまったから、とも言えます。畑と食卓が近かったら、「大根がまっすぐである」や「箱に隙間なく積み込めてすべて同じ大きさをしている」ことは、あまり意味をなさない「メリット」です。

それよりも、各地域で大切に育ててこられた、いろんな大根をおいしくいただきたい。漬物に最適の品種、きゅうりの代わりになるほどのサラダ向きの品種、煮炊きするとほろほろ具合が最高の品種・・・全部「青首大根」でもいいかもしれないけれど、ちょっと前まで食べられてきた味と野菜の物語り、なくなってしまうのはもったいないと思うのです。

タネを継ぐということ

農村ではつい40年前までタネを農家が自分で取るのが当たり前の風景でした。
でもそれも今は昔ものがたり。F1のタネを買うことが普通になっています。驚く方も多いのですが、京野菜でもF1のタネがあるのです。

育てやすい、収穫しやすい、などたくさんのメリットから、農家さん自身が選んでいるケースもあります。しかし、もうF1ではないタネは一般的なタネ屋さんには置いていません。高価なF1を仕方なく、ということも多いです。あるいは、農協などを通じて市場出荷する場合、タネも農薬もセットで購入することも多いです。農家さん自身もタネについて考える機会があまりない状況です。

F1のタネは、タネとりができないタネと言われています。
親と同じ性質の実が翌年は収穫できないタネ、ということです。
ちなみに、実はなることもならないこともあります。
「あ、このかぼちゃ、おいしい。来年も育てよう」と思ってタネを保管しても、翌年に同じおいしさのかぼちゃができる可能性はほぼありません。できる実は「先祖返り」、掛け合わした先祖の特徴の実がなるのです。
また、タネができないF1もあります。海外の環境活動家たちから「自殺種子」とも呼ばれ問題になっています。

このままでは、各地方に伝えられてきたタネが消えてしまう。より風土や気候にあったタネを残し、次世代につないできた、そんな歴史が消えてしまう。そんな危機感を持って、タネを守る取り組みが増えてきています。わたしたちも、そんな人々のうちの一人です。

◆お百姓さんとつながろう

さて、熟練の百姓になるには、いったい何年かかるのでしょうか。

日本の場合、多くのお野菜は年に一度タネをまき、収穫をする、ということが多いです。(年に何度か蒔く野菜でも、時期が違うと気候も雨量も異なり、同じ野菜とはいえ別の知識が必要ではあります)
そうすると、あるお野菜に関しては、1年たっても「1回の経験」しかないのです。
5年経験のある農家さんでも、作物それぞれに関してはたった「5回の経験」を持つことにしかならない。
新規就農者が熟練百姓さんにいろいろ聞きたいと思っても、そもそも慣行農法以外の農家さんは少数派。

成長が遅い。虫がついた。。。
無農薬でお野菜を育てていると、いろんな「試練」が次から次へとやってきます。
どうすればいいのか、対処法を調べて手を施しても、全滅することもあります。
そもそも他の野菜に手を取られ、手を施す余裕すらないこともある。

何年かの経験で、そういった対処が打てるようになりますが、それまで無収入でいるわけにもいきません。

F1を使うこと、化学肥料を使うこと、農薬を使うこと・・・今の社会で「農業を生業」として生きていこうと思ったら、これらを拒否するのは、かなりの覚悟が必要だと思います。

「F1」や「農薬」を非難するのは簡単です。しかしこれらを必要とする社会こそが変わる必要があると思っています。もし、畑と食卓の距離を近くなり、社会の風潮が「食べものは大事だから、次世代の百姓を育てていこう」という方向を向いてさえいれば、これらを使わない選択も今よりは簡単になると思います。農に携わる人のうち一人でも多くの人が「F1」や「農薬」を選ばなくてもいい社会を、みんなで一緒に考えていきたいと思っています。

野菜だってイロイロがいい

多様性が大事にされること。
人と違っていても「あなたもわたしもすばらしい」と認め和えるような世の中こそ、わたしたち自身にとっても、子どもたちにとっても、未来世代にとっても、住みよい社会だと思っています。

そんな社会を子どもたちに手渡したい-そんな想いから私たちは、できるだけ固定種のタネを選び、化学肥料も農薬も使わずに、食べものを作り続けていきたい、そう思っています。

もちろん、野菜の調子のいいときも悪いときも寄り添うことが「生業」な暮らしの中では、「こんなに大変なら、F1のタネにしようかな・・・」と思うことは何度もあります。

それでも、固定種のお野菜を作っていこうと思うのは、何よりおいしいから。
各地で栽培が続けられてきたお野菜だけあって、おいしいだけではなく、食べ方や歴史にも、文化や物がたりがあり、とても魅力的だから。そんな文化が途絶えてしまうのももったいないから。

そして何より、この想いを共有していただける人々に、支えられているから。今まで何度も「大変だ・・・」という場面に遭遇しましたが、いつも、たくさんの人々から心強いエールをいただき、陰に陽に支援いただきました。そのたびに、人のつながりのすばらしさに感動してきました。

だからこそ、「がっかりする」場面に遭遇しても、気持ちを切り替え、また次へと踏み出すことができています。

多様性を担保するのは手間がかかり、時間がかかること-野菜と向き合っていると思い知らされます。

でもそれって野菜だけではないんですね。

社会の中で多様性を確保するためには、本当に手間も時間もかかる。まさに「三歩進んで二歩下がる」状態です。ときには「二歩進んで三歩下がってるんとちゃう ん!?」なんて思ってしまうような場面もあります。それでも、「三歩下がったんじゃなくって、二歩進んだから下がったのは一歩だけやったんなら『よし』と しよう」と思いたいなーとも思ってます。

野菜だけでなく文化も、人も、個性を認め合えるような社会、 多様性を大事にしたいと私たちひとりひとりが思ったとき、「みんな違ってみんないい」が空虚に響くスローガンではなく、ココロの底から思う人々が増えていくと、F1の役目は終え、固定種がまたよみがえるんじゃないかーそんなプロセスの一端を担う百姓になりたい、と思うのです。

タネを通じた食べもののこと。
たくさんのみなさんと一緒に考えたいーそう思って、今日も畑で土や野菜と向き合っています。

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