流域のめぐみを愉しみ、まもり、次世代にわたしたい
耕し歌ふぁーむの農場は、京都市右京区、京北の黒田という地域にあります。京都市内から35kmほどの距離にある、桂川の源流域の自然豊かな里山です。
◆水を想う
桂川は、京都府を流れる淀川水系の一級河川。
京都市左京区の大悲山付近(左京区と南丹市美山町の境の佐々里峠付近)が源流です。左京区花脊まで南へと流れ、花脊南部で西へと大きく流れを変え、右京区京北を東西に横断します。南丹市日吉町の世木ダム、日吉ダムを経由し、亀岡盆地へと流れ、園部町、八木町、亀岡市中央部を横断し、保津峡を南東に流れ、京都市内に入ります。
大阪府との境で木津川、宇治川と合流し、淀川になり、大阪湾に注ぎます。
このように、京北の中でもとくに山深い黒田地域は、京都や大阪の上流域です。上桂川のある黒田に暮らす私たちと、京都や大阪といった桂川が流れる地域一帯に暮らす方々は、同じ流域を、そして大事な「水」を共有するいわば「仲間」だといえます。
京北地域を流れる桂川は、「上桂川(かみかつらがわ)」や「大堰川(おおいがわ)」と呼ばれています。
大堰川の名前は、京北がかつて林業で栄えた町であったことを示しています。
古くは奈良時代や平安時代から京都に木材を供給してきた京北。長岡京(784年)や平安京(794年)造営時や御所炎上の際には、膨大な量の建築用材がこの地より供給されたという記録が残っているぐらいです。切り出した丸太は、筏を組んで大堰川を下る方法(筏流し)で京都の町まで運ばれました。川に堰(せき、小さいダムのようなもの)を作り、せき止めた水を一気に流すことで運んだのです。「大堰川」の名前の由来は、この川にいくつもの堰がもうけられていたことからとも言われます。
◆ 里山の現状
1200年以上も林業とともに暮らしが営まれてきた京北。しかし昨今は林業を担う人々も少なくなり、下草刈りや枝打ちなど手入れが施されなくなっただけでなく、リッパに育った樹は放置されています。また、少し前まで暮らしに必要不可欠だった薪炭も使わなくなりました。山の樹を日々の暮らしに利用し、有効に活用することで循環させてきた山の資源はもはや、更新されなくなってしまいました。生態系のバランスが崩れ、ある一定のケモノが増えてしまい(鹿、イノシシ、猿など)、獣害も深刻です。山は荒れてしまっているのです。
本来、 森には水を浄化したり、地下に水を蓄える涵養機能があります。しかし荒れた森は保水力をなくします。崩れやすくなって地域の人々にとって危険なだけではありません。水を貯めることなく川に流してしまうため、近年の大雨で簡単に増水しあふれてしまう原因のひとつとなり、下流域の住民をも危険な状況にさらすことにつながっています。
田んぼは、水を地表に貯めておくのにとても重要な役割を持っています。
春の雪解け水や梅雨の時期の雨水を一気に下流に流すことなく地表に貯め(地下水の20%が田んぼ由来だとも言われます)、夏の渇水の時期に水を放ちます。 田んぼは「自然のダム」とも言われるように、洪水防止機能や、都市部の渇水を和らげていると言われます。
しかし、田畑を担う人々の高齢化もすすみ、若い人が少なくなってしまいました。田畑は一人では維持できません。水路や畦は共同でメンテナンス作業が必要です。わたしたちの地域の共同作業に出ると、平均年齢は70歳、いや、75歳かもしれません。80代のおじいさま方だって現役です。それはそれは力強くて頼りになり、尊敬しています。しかし、あと10年たったら水路や畦をメンテナンスする人は、いったい誰なのでしょうか・・・
山間地の森が荒れ、田畑を担う人が少なくなっているという現状は、京北だけが抱える問題ではありません。日本全国どこの山間地も頭を悩まし、知恵をしぼり対策を練ろうとしている、大きな課題です
またこの問題は、山間地の住民だけでなく、上流・下流関係なく、流域住民すべてに関係のある問題です。というのも、上流が荒れれば、下流もその影響を大きく受けるからです。
◆流域のめぐみを育て、食べる・・・流域内自給で、流域をみんなでまもる
上流と下流がつながっているからこそ、源流域の田畑や森をまもることは、わたしたち上下流域住民の暮らしをまもることにつながります。
「まもる」といっても、がっつり本気で林業や農業にどっぷり取り組むことだけが「まもる」ではないと思うんです。つくる人も必要ですが、たべる人も必要です。「あぁ、おいしい。しあわせ」とほっこりし、「大事な人にも食べてもらいたい」と感じることこそが、大事な「まもる」活動の第一歩、いえ、基本のキだと思うのです。
流域内で、おいしくて人にも環境にも安全な食べものをつくること。
そんな流域のめぐみを、ありがたく食べること。
つくる人がいて食べる人がいる「流域内自給」が高まることで、土や水、里山の環境をまもるだけでなく、わたしたちの暮らし(「上流」も「下流」も)や、わたしたちの次世代の、未来の豊かな暮らしもまもる。
一人でも一家族でもとうていできません。
だからこそ、一緒に田畑や森を「まもる」仲間をたくさんつくりたい、そう思っています。同じ「水」「土」「環境」、そして「想い」と「未来」を共有する仲間みんなで取り組めば、あっという間に里山は息吹を吹き返すはずです。
たくさんの方々とともに、桂川流域のめぐみを積極的に受けとりたい。恩恵を受けることで流域に「恩返し」をしたい。その「恩返し」の「恩返し」を受けるのは、わたしであり、大切な人たちであり、そして未来だと思うから。
ひとつ言い加えると、「流域内」の関係だけが重要だとは考えていません。こういう取り組みが各地にひろがり、つながっていくことも重要だと考えます。だからこそ、「友産友消」*やフェアトレードも大事な活動だと思っています。
わたしたちにとって「耕す」ことは、過去や未来、そして現在を生きる人たちと「おいしいものを親しい仲間たちと食べる」という幸せな時間や空間をシェアするための、すてきな手段だと考えています。屋号の「耕し歌ふぁーむ」には、「耕す」という「歌」を奏でつつ、すてきな人びとや愉しい取り組みとつながっていきたい、という想いを込めています。
*「友産友消」は、Oxfam Japanさんがイニシアティブを取っている活動で、私たちもその取り組みに賛同しています。http://grow.oxfam.jp/tomosan_tomosho/