大雪でものすごいことになっている京都の山間地、京北です。

大雪でものすごいことになっている京都の山間地、京北です。

今、一面銀世界という幻想的な景色に囲まれて、子どもたち(+童心に帰った親)は喜びで跳ね回る一方、凶器にもなり得る雪の恐ろしさに思い知らされています。

ちなみに、京北という山間地から街に出る主要な道路である162号線(周山街道)は、この大雪による倒木のため通行止めになり、倒木が処理されたと思ったら土砂崩れでやはり通行止め、復旧のめどが立っておりません。
(と書いたのは昨日でして、今朝から片面通行で復旧!絶対無理やと思っていたのに、このスピード、関係者のみなさまの努力がすごいです。さすがです・・・ありがとうございます)

それでも街に行く必要のある人々はいろいろ遠回りをして出かけ、その道も雪でせばまって一車線になってたり、その上「つるつる」な状態で、しかも車も横転してたり、あるいは倒木あったり・・・ほんと大変です。

畑も野菜も雪の中。一面銀世界・・・
ココほれワンワン状態でお野菜を掘り当てる、という始末。
堀ったわいいが、ぷりっぷりの白菜さん、バラバラ事件発生・・・

こんな時はあまり車に乗らず(雪かき程度におさめておいて)、家に籠もるしかない!という状況です。

薪ストーブで暖を取りつつ(とはいっても古民家なので温まり切りませんが)、その上で豆やら何やら炊いてほっこりしよう・・・とは思ったものの、薪の強い火を有効活用したい性分(もったいない症候群)のため、あれやこれやを調理すべく、ウロウロいったりきたり、落ち着かないです。
(写真:めいいっぱい熱を利用する図)

さてさて、そんなこんなですが、陸の孤島状態になっても、お買い物に行かなくても、きちんと食べて、暖かい(といっても登山小屋程度ですが・・)暮らしを続けていられるのは、本当にありがたいものです。

もちろん、道路が寸断され、お店の食料品が品薄になり、電気や灯油といったライフラインの供給が絶たれてしまったとき、特に困るのは社会的に弱い立場の人々です。その人たちのことを思うと、胸が痛みます。

それでも、この辺りのおじいさん、おばあさんは、常備食も畑に食べものも、食べるための知識もアイディアもたーんとあって、あまり困らなさそうです。そう、昔の人たちは、そして今も、山間地で暮らす人々(の大勢)は、食に自立していた&いるってことに、こういう状況になると改めて思うのです。

食の自立。

何も、「全て自分で作る」自給自足がいい、と思っているわけではありません(そういうのもできたら楽しいだろうなーとは思ってますが)。

今の流通の仕組みは空気のようにいつでもそこにあるものではなく、意外ともろいもの。スーパーは便利だけれど、「スーパーの冷蔵庫が我が家の食料庫」状態(をすすめているサイトとか見たことあります)になってしまったら、食をスーパーや流通の仕組みに依存してしまったら、いざライフラインが止まる状況になったときにとても困ります。

ライフラインが寸断してしまっても、乾物やお豆が家にあるとありがたいです。もちろん、庭にお野菜があることも心強い。だからこそ普段から、常備食や保存食で長く食べる知恵やアイディアを身につけて、「食が自立」していれば、「道がとまった!」という状況でも、今日食べるもの、子どもに食べさせるものに困ることはありません。

もちろん、自分だけでなんとかすることは大変です。
食の自立は決して「食の自己責任」とは違うのです。

小さなお店屋さんや生産者さんと日頃からつながったり、身近な友だちや知り合いとの助け合い関係も大事にして、ゆるい単位の「自立」コミュニティになれば、「食の(小さなコミュニティ、共同での)自立」が可能だと思うのです。様々な事情で、社会的に、スーパーに頼らないと食べていくのが難しい事情にある人々も、どこかのコミュニティにつながっていれば、たちまち食べものに困る人も減ると思うのです。

そして、スーパーや流通に頼らない暮らしが月に数日でも、あるいは数ヶ月に一度でも実行する人々が増えて、そういう「ゆるいコミュニティ」で支え合う人々が増えたら、今の社会の仕組みが変わるのじゃないかなーとすら思います。「食の自立」に基づいた暮らしこそを次世代に伝えていきたいなーと思う、そんな雪ごもりの日々でした。

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