草取り第2回目、無事終わりました!
小さい人から大きい人まで、総勢28名での草取り作業。
今回も晴天に恵まれ(雨予報をはねのけて!)、とっても気持ちいい天気の中、田んぼの草と向き合う半日を過ごしました。
辛~い、地道ぃ~な作業の草取りですが、たくさんでやれば、わいわい楽しい。何より早いっ!午前でがんばって作業を終わらせ、おいしいお弁当(お山カフェさん!ありがとう~)をいただいたら、午後は川でたっぷり遊びました。
用意していた「畑とつながるおやつ」もぺろり。
特に子どもたちの食べっぷりはスゴイっ!
自然の中でカラダを動かすと、おなかのすきかたが気持ちいいですね。
たくさんの方々が、「田んぼの中が気持ちいい!」とコメントされていました。田んぼの泥に手と足をつけること、想像以上に気持ちいいです。
やみつきになります。
また、「谷を抜ける風がきもちいい!」とおっしゃった方もいました。
せっせと大地に向かって草取りをして、ふと身を起こして山を見上げたときに、顔にからだに当たる風の気持ちよさったら、いいようがないほど。
もう一つ多かったコメントは、「思ったよりしんどい作業だった」でした。
田打ちは重たく、扱うのはかなり体力のいる仕事です。
ちなみに、私は年々重たく感じるのですが・・・気のせいでしょうか・・・
「これから解放されるのなら・・・」と思うのもムリはない、と思える作業です。今でも、毎年誘惑にかられます(*^▽^*)
また、「手をかければかけるほど米も喜び、強くなる」というコメントをされた方もいらっしゃいます。ほんとそうですよね。お米も、お野菜も、そして子どもたちも、さらには人間関係も・・・。手をかけるところをぶれないよう、ときどき振り返らないと・・・
「人の足音がしない田んぼが増えた・・・」と言ってくれた人もいました。
ほんとそうだな、と思います。農業人口、田舎に暮らす人々の人口、さらには全体の人口まで減っていくことが明らかな今、どういう「田んぼ」が理想的なのだろうか・・・考えさせられます。「田んぼ」の未来を考えることは、社会の未来を考えること、だと思えます。
うれしかったのは、
「子どもが田んぼに入って、モップで草取りをはじめた。うれしい」
というコメント。
とってもよく分かります。お米を育てることはとても大切だと伝えたい、親の自分の気持ちが伝わってるんだ!とうれしくなります。
実は、田んぼに入るのを「きっぱり」と拒否する子どもさんは以外といらっしゃいます。
きっと本能が、そうさせているのかも、とすら思います。
うちの子も1年目は、畦でぎゃんぎゃん泣いていました。
子どもの身になってみれば、それはそうかも、と思えます。
だって、泥の中には何がいるのか分からないし、なんだか得体のしれないものが潜んでそうだし、底はどこまであるのか分からないし。。。
突然「泥おばけ」がぬわっと現れて、連れて行かれるかも!なんて思ったって、ふしぎではないと思います。
それが、身近な人たち-信頼するお父さんやお母さん、気心しれたちょっと大きいお友だち-が入って楽しそうにしているのを見て、はじめて、「底はある」「泥おばけは住んでない」、安全だ、と認識してやっと、入りはじめるのだと思います。
その後、年を経るにしたがって、「危なくない」から「安心していい場所」に。
少しずつ、田んぼとの距離が縮まっていくのでしょう。
どうしたって、田んぼを体験するのは、一年に一度のこと。
大地が自分の食べものを育ててくれる所で、大切にしたいもの、と思えるようになるまでには、とても時間のかかることかもしれません。
「人の足音のしない田んぼが増えた」ことも関係あるかもしれません。
田舎でも、田んぼに誰かが入っているのを見ることはあまりありません。
田んぼが暮らしから遠くなってしまった今の時代。
子どもたちが、時間をかけてゆっくりと、田んぼを「安心できる場所」と距離を縮めていくことができるような、そういう場所が必要だなぁと感じたのでした。
仕掛けも必要だろうし・・・何かオモシロイアイディア、大歓迎!
また、他にも・・・
「思ったより草が少なかった」
「浮き草が生えている田んぼを久しぶりに見た気がする」
「オモダカとひたすら向き合った-一本も見逃すまい!と。」
「かかとつるつるになる!」
「下半身の安定が必要だと感じた。丹田に力を入れた」
「街より涼しい!」
「雑草の根は思ったより深い」
「先月より稲が生長していたことが感じられてうれしい」
「お弁当がおいしかった!」
ひとつひとつのみなさんのコメントに、感じたこと、気付かされたこと、たーっくさんあるのですが、書ききれないので(涙)、それはまた追々書いていきたいと思います。
参加されたみなさま、お疲れさまでした!
次は、いよいよお米作りもクライマックス!
どっきどきの稲刈りです!