「汗を取り戻そう!」- 食と農を汗から考える

「汗を取り戻そう!」- 食と農を汗から考える

 梅雨が明けたはずの京北ですが、雨予報ではないのに雨が来たり、 かと思えば「豪雨」アラートが来たり、そのアラートが外れたり。天気予報とお天気に翻弄される日々です。

さて、暑い中農作業をしていると、たっくさん汗をかきます。驚くほどの量の汗です。

実は私、もともとカラダが冷えやすく、むくみやすい体質です。しっかり汗をかかない日々が続くと、顕著にカラダに現れます。足がむくむのです。昔はそんなことなかったのですが、年齢を重ねるにつれ、日常生活でかくぐらいの汗では、むくみが出てしまうようになりました。

そこでありがたいのが農デトックスです。汗をたくさんかくと、カラダが軽くなる気がします。

実際、本当に軽くなっています。1kgぐらいは違うのです!
(脂肪がなくなったのではなく、むくみが消えたのだと思いますが・・・)

汗たっぷりかいて作業を終え、水路の冷たい水に足を投げ出すときの快感といったらありません。澄んだ空気を胸一杯に吸い込み、ゆれる稲穂(もうご近所さんの田んぼには稲穂が出ています)に季節の移り変わりを感じ、谷を駆け抜ける風に身をゆだねるーとっても気持ちいいのです。皮膚にトラブルもありますが、それも明らかに軽減されます。そして何より、身も心もリフレッシュするのです。

「汗をかいてデトックス(毒の排出)」とはよく言われていることですが、最近は「汗からは毒は排出されない」とする主張も多いようです。それでも、カラダが軽くなり、動きも軽快になり、皮膚のトラブルが姿を消す、そんなことを実際に体験している私にとっては、「毒が排出されようがされまい」が、「畑で汗をかくことで健康維持」していることを実感する毎日です。

ひとつ、興味深い主張をご紹介します。「食と農が分断されることによって、都会の人の『汗をかく機会』が奪われてしまった」というものです。

「耕す人」と「耕さない人」が分離されることによって、 「耕さない人」にもたらす苦悩を「汗をかく」という観点から考える意見です。すなわち、人は、汗をかきながら、自然や生き物と交流し、多くのことを学び、人間も自然の一部であるという感覚を再確認する。 「耕さない人」はそんな学びの機会、自然の一部であることを感じる機会を奪われてしまっている、というのです(*)。

田畑と食卓がどんどん遠くなり、「耕す人」は人口の1%となり、気がつけば、この社会のほとんどは「耕さない人」になりました。

とはいえ、「耕す人」は皆「汗をかく」のかといえば、そうでもありません。米国の話ですが、エアコンが効いて音楽が流れる最新型の超巨大トラクターで耕す農業者や、あるいは農地と離れた室内で多数のモニターを確認しながらパソコン作業で給水したり施肥したりとオフィスワーカーのような農業者もいるのです。

「汗」をかくと、べたべたとして気持ちが悪い。しかしその「べたべた」は、カラダの中の毒素や老廃物、と主張する人もいます。本来なら腸から排出すべきものだけど、それがうまくいかずたまってしまったものが汗から出てきたものだ、と。

「汗をかく機会」が奪われてしまっているのだとしたら、それはカラダの中の毒素や老廃物を排出する機会が減っている、ということになります。現代特有の病のひとつの原因、とする主張もあります(もちろん因果関係の証明は難しいところですが)。

べたべたする汗をかかず、より快適で便利な暮らしが実現した社会に暮らす私たち。しかし、たくさんの人びとが「汗をかく機会」を失い、自然の一部としての感覚から遠ざかってしまい、そしてそれがゆえに健康的な生活から遠ざかってしまっているのだとしたら本末転倒です。「田畑と食卓」が近くなり、「汗を取り戻す」人がどんどん増えれば、世の中もっと住みやすくなるのではないだろうかーと汗をかきつつ思うのでした。

*明峰哲夫「生きることそのものとしての有機農業」『原発事故と農の復興』より

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